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学歴で「身のほど」をわきまえ人生に線引きする、哀しき若者たち

 今回は、学歴病が新卒時から20代後半くらいまでの「若い世代」の意識に与える影響について考えたい。一昔前まで学歴は、社会において個人に「身のほど」を知らせるツールの役目を果たしていた。時代は変わったとはいえ、依然としてそうした意識は根強く残っているように思える。それが国や社会の成長さえも阻害している可能性があることに対して、問題提起をしたい。

筆者が専門学校で目にした若手社会人たちの「学歴格差」

 筆者は2006~09年のあいだ、いくつかの専門学校で、主に大卒の若者たちに向け、企業の採用試験対策として「論作文の書き方」などを教えていた。そのとき、ある学校で感じたことを紹介する。そこには、大学などを卒業し、社会人になった後、編集者として出版社への転職を希望する受講生が多かった。

 本人たちが話していた限りでは、新卒時の就職活動では思い描いた結果を得られなかったようだ。「不本意入社」でメーカーや金融機関、商社などに就職したものの、早々に辞めたいと思い、転職を目指してこの学校に入学したという。1年間に在籍していたのは数百人で、各々会社に在籍しながら、週に1~2日のペースで、数ヵ月から半年ほど受講していた。

 入校時に本人が書くプロフィールシートの最終学歴の欄を見ると、2つのグループに分けられると思った。1つ(Aグループとする)は、入学難易度が一定以上のレベルを超える大学・学部を卒業した人たちだ。主なものは、次のような大学・学部だった(ランクは2006~07年当時)。

 一ツ橋大学社会学部、横浜国大経済学部、東京学芸教育学部、広島大文学部、北海道大文学部、東京外国語大(学部不明)、早稲田大法学部・第一文学部・教育学部、中央大法学部、青山学院大国際政経学部・経済学部・文学部、立教大文学部、同志社大文学部大学院修士、関西大文学部――。  もう1つのグループ(Bグループとする)は、ここ二十数年の間に新設された大学や、知名度があまりない大学の卒業者たちだった。

 全受講生の中でのA・Bグループの比率は「7:3」。全受講生の平均年齢は20代後半。男女の比率は、「4:6」。この2つのグル―プの人たちは、出版社の採用試験のとき、「学歴病」の症状とも言える行動をとり始めた。筆者が強い印象を受けた、そのあたりのエピソードを中心に紹介しよう。

「一流」と言われる大手出版社5~6社は、2006~09年頃、新卒時の年齢制限を24~25歳にしていることが多かった。この専門学校の受講生たちのほとんどが、その年齢をオーバーしている。したがって、受験することができない。

 その5~6社の下に、20社ほどの準大手・中堅出版社がひしめく。社員数や業績、実績などで肩を並べており、社員数でいえば150~400人ほどだ。このグループの中には、新卒時の年齢制限を25~27歳にしている会社がいくつかある。受講生たちは、そのようなところにエントリーする。大学生に混ざり、「新卒」の採用試験を受ける。

 20社ほどの準大手・中堅出版社の新卒の採用試験には、毎年数百人の学生がエントリーし、5~15人ほどが内定を得るケースが多い。倍率は一般企業と比べてかなり高いが、それでも大手出版社5~6社と比べると低く、広き門と言える。専門学校からは、毎年10~20人ほどの受講生がエントリーする。そのうち3~4人が準大手・中堅出版社のいずれかに入る。多い年は5人を超える。

 そのことは、筆者からすると驚きだった。率直なところ、奇跡に近いと思った。なぜなら、内定を得る受講生のほぼ全員が前述のAグループにおり、一定水準以上の大学を卒業しているものの、「実力」は一定のレベルに達していない者がほとんどだったからだ。

 特に、編集者を目指すなら不可欠なはずである「文章を書く力」は弱い。エントリーシートすら、きちんと書くことができない人もいた。志望動機なども、要領を得ない。こんなレベルだから、エントリーした半数以上で不採用となるが、内定をつかむ人もいる。それはなぜだろうか……。

 

不採用の山を乗り越え内定をゲット実力が低い高学歴者たちの特徴

 おそらくそれは「偏差値教育の影響」であり、「学歴病」の症状の1つと言えるのではないか、と筆者は思う。当時、専門学校の事務局の職員や、内定を得た本人たちから聞いた話では、彼らは目標とする20社ほどの出版社のうち、3分の1から半数近くの会社の試験を受けていたようである。その大半の試験に落ちて、1社から内定を得て入社する。つまり、「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」に近い方法で内定を得ていたのだ。

 これほど大量に入社試験を受けることにまず驚くが、中には年齢制限を設ける会社の人事部に電話を入れて、「自分は27歳だが、何とか採用試験を受けさせてほしい」と交渉していた者もいたようだ。

 筆者が彼らの立場になって考えた場合、そもそも5~6歳も年下の人に混ざり、新卒の採用試験を受けること自体にためらいがある。しかも、筆記試験の点数がごく普通の力の受講生たちの中でも、平均レベルでしかない。これではなおさら、抵抗感がある。まして、その時点で曲がりなりにも会社員をしており、仕事をして給与や賞与まで得ている。不満があったとしても、「まぁ、仕方がない。これが俺の人生だ」と妥協し、生きていくと思う。

 しかし、彼らは違った。当時彼らが講師室に出入りしていたときに口にしていた言葉で印象的だったのは、次のようなものだ。

「あのレベル(の出版社)ならば(自分は)受かる」「あそこならば(試験に受かることは)簡単」「(入社後、自分は仕事を)やっていけるだろう……」

 彼らは当時26~27歳。新卒枠で入社したところで、苦労することは目に見えている。その遅れをとり戻すことは、なかなかできない。おそらくしばらくの間、年下の先輩社員からあごで使われる日々を送る可能性が高い。彼らは、そうしたいばらの道をあえて選び、次々と不採用となりながらもめげることなく前に進み、内定を掴んだのである。

文章の実力はあるのになぜ?「上」を狙わない人たちの心理

 一方で、準大手・中堅グループの出版社の採用試験すら受けない受講生たちがいた。筆者が把握していた範囲で言えば、毎年20人ほどになる。そのほとんどの人が、前述のBグループにいる。実はこの中には、編集者としての潜在的な可能性を秘めた人が毎年5人ほどはいた。これは、筆者以外の講師も口にしていたことである。「一流」の大手はともかく、準大手・中堅出版社にエントリーすれば、数人は内定をとれるかもしれない、と筆者は思っていた。

 ところが、彼らは採用試験を受けない。受けないのに、学校に来て講義を受ける。その理由を聞くと、「採用試験を受けても受かるはずがない」という言葉が返ってくる。確かに、筆記試験の点数を見ると受かる可能性は低い。しかし前述のように、Aグループの受講生たちも似たような状況だ。

 こうした準大手・中堅の採用試験を受けない受講生は、社員数が100人以下の中小出版社の試験を狙う。中小出版社は得てして労働条件が悪く、人材の質は低い。このレベルの出版社の新卒採用は、「第2新卒」「経験者採用」を合わせた形の採用スタイルが多い。学生から30代前半くらいまでの人がエントリーする。筆者がいた専門学校からは10~50人が受験し、数人が内定となる。

 Bグループの受講生たちは、頑張れば準大手・中堅の出版社に入れるかもしれないのに、わざわざ中小出版社を選ぶのだ。実は、準大手・中堅の出版社と100人以下の出版社の人材の質は、さほど変わらないように筆者は思う。筆者のこれまでの経験則から、それぞれの会社に勤める30代半ばの編集者の力量を9つの観点で比べると、ほぼ同レベルに見えるからだ。それは、「仕事への姿勢」「業界知識」「仕事の知識」「企画力」「取材力」「原稿整理力」「校正」「記事などを商品にする力」「事務処理力」である。

 これは、筆者が知る作家、デザイナー、編集プロダクションの経営者など、10~20人の業界関係者がほぼ口を揃えて言っていたことでもある。このことからも、Bグループの人たちがもし準大手・中堅の出版社に入社したとしても、十分活躍できるであろうことがうかがえる。

 そもそも、一流大学を卒業し、労働市場における価値が高い人は、実は新卒時に一流の出版社5~6社のいずれかにすんなりと入っている。出版に限らず、入社難易度の高い全国紙やキー局に入る人も、少数だがいる。20代後半になっても大学生と競い合い、新卒の採用試験を受ける人は、一流大卒であっても労働市場の価値が高いとは言えない。むしろ、低いと見るのが妥当だろう。

 ところがBグル―プの人たちは、こうした現実を見つめようとしない。自分より偏差値が高い大学の出身者であっても、「優秀とは言い難い人材」と競い合うのだから、自信を持てばいいのだ。だが劣等感があるのか、Aグループの人たちが狙う出版社の採用試験すら受けようとしない。ここに、「学歴病」の大きな問題が横たわっている。

 

偏差値で「身のほど」をわきまえ気概を失ってしまう若者たち

 ここで、コンサルタント大前研一氏が著書『稼ぐ力』(小学館)の中で、10代の頃の偏差値教育について書き著している内容の一部を紹介したい。

「結局、日本で導入された偏差値は自分の『分際』『分限』『身のほど』をわきまえさせるたけのもの、つまり、『あなたの能力は全体からみると、この程度のものなのですよ』という指標なのである。

 そして、政府の狙い通り、偏差値によって自分のレベルを上から規定された若者たち(1950年代以降に生まれた人)の多くは、おのずと自分の“限界”を意識して、それ以上のアンビションや気概を持たなくなってしまったのではないか、と考えざるを得ないのである。」(P198より抜粋)

 この本が発売されたのは、2013年。読み終えてすぐに思い起こしたのが、2006~09年に筆者が専門学校で教えていたときのことだ。受講生が、卒業大学の入学難易度で進路を選んでいく姿である。「私は〇〇大卒だから、このくらいかな……」といった感覚で、人生の可能性に自ら線引きをしてしまっているように、筆者には見えた。

 新卒ならともかく、20代後半で、しかも会社員として数年間働いた経験がありながら、この程度のレベルの思考で進路を選んでいく。大前氏が指摘するように、「分際」「分限」「身のほど」を、悪い意味で心得てしまっているのだ。

 彼らと離れて10年ほどが経つ。準大手・中堅の出版社に入ったAグループの15人ほどのうち、12~13人はいまもその会社に在籍しているようだ。副編集長(課長級)になった者もいると聞く。

 一方で、Bグループにいて中小出版社に進んだ20人~40人ほどのうち、半数近くは数年以内にその会社を退職している。聞く限りでは、「失意の退職」が多い。彼らは、さらに小さな出版社や編集プロダクションなどに転職したと知らされた。他の業界に行ったり、専業主婦になったりした者もいるという。編集者として活躍している、という話はまず聞かない。

 前述のように、A・Bグループの人たちは、ともに10年ほど前、20代後半の頃は同じ専門学校に通い、「実力」という面ではほぼ拮抗していた。そのことを考えると、まことに「残念」な話である。大学などで若者たちの教育に携わる人々は、こうした現実を何らかの形で伝え、人生の可能性を自ら狭めるようなことがなきよう指導してほしいとさえ、筆者は思う。冒頭でも述べた通り、若者が人生に果敢にチャレンジすることなくして、国や社会が成長することはあり得ない。

 

希望の会社に安住して失速「勝ち組」にも根を張る学歴病

 最後に、次のことも指摘しておきたい。

 大前氏は、偏差値教育により、多くの人が「自分の“限界”を意識して、それ以上のアンビションや気概を持たなくなってしまった」と述べている。このことは、若者が希望の会社に入った後についても言えると筆者は思う。

 たとえば、前述のAグループから準大手・中堅の出版社に入った人の中には、その後何らかの理由でやる気を失い、失速したと思しき人も数人いる。筆者が専門学校で教えていたときに感じた限りでは、その中にはもっと大きな舞台で活躍できそうな力を持つ人が2~3人いた。しかし彼らは、自らの“限界”を意識し、それ以上の野心を持たなかったことで、失速してしまった可能性がある。

 Aグループの人たちが本当に学歴にこだわるならば、「俺は一流大卒。一流の出版社に行くのがふさわしい」と自らを果敢に売り込んで、さらに大きなステージに転職するという方法もあっただろう。一流大卒が多いテレビ局や全国紙に進んでもよかった。企業規模の大小では一概に語れないものの、一流の人材がそろう会社にいかないと、自他ともに認める一流の人材になることは難しいのではないか。

 しかし、彼らのほとんどが、40歳を前に現在の職場に安住しており、中にはやる気を失っていると思える者もいる。「高い偏差値の大学を出てそこそこの会社に入ったのだから、野心を持って失敗し、今の自分に見合わない場所で厳しい働き方をするのは嫌だ」というプライドも、背景にあるのかもしれない。10年ほど前に、懸命に就職活動をしていた頃の姿を知るだけに残念で、さびしい気がする。

 ここにも、「学歴病」の症状が見える。日本の成長を議論するときに、欠落している視点ではないだろうか。