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46歳貧困男性が自己責任論を受け入れるワケ

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10年近く乗っている軽自動車の隣に立つカズマさん。「これ以上生活が厳しくなったら、車を手放すしかない」と言う(筆者撮影)
現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

 

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「苦しまないで死ねる施設をつくってほしいです。たとえば、“何月何日に終わりにしたい”と連絡したら、安楽死とか、尊厳死とかさせてくれるようなシステム。そうしたら、電車に飛び込む人も減るんじゃないでしょうか」

千葉県の派遣社員・カズマさん(46歳、仮名)は、自身が望む「死にざま」について穏やかに語った。その口ぶりからは奇をてらう気配も、かといって絶望に打ちひしがれた様子もうかがえない。

年収は約240万円、貯金はゼロ

180センチ近い身長に、すらりとした体型。デニムとベージュのカットソーという服装には清潔感があり、白髪が目立ち始めてはいるものの、30代といっても通用しそうな見栄えである。

しかし、実際の生活は苦しい。年収は約240万円、貯金はゼロ。親から相続した木造の家屋は気密性が低く、夏は暑く、冬は寒いが、電気代を節約するため、もう何年も冷暖房のたぐいは使っていない。夏は水風呂で身体を冷やす。冬はセーターとダウンジャケットを着て乗り切るのだが、今年も両手がしもやけになったという。

一時、食費を1日300円に抑えることを目標にしていた。そのために、近所の大型スーパーの特売日に、大量の冷凍食品と、2.7リットルのペットボトルに入った1900円ほどのプライベートブランドの格安ウイスキーを買う。昼は「白米8割、残りの2割に冷凍食品のミニハンバーグとかカニクリームコロッケを詰めた弁当」を持参し、夜は夕食代わりにウイスキーを飲んで眠る。「お酒が強いわけではないので、(ウイスキーを)飲む量はそれほど多くありません。だから、1本で2カ月近くもつ。寝つきもよくなりますし、食費の節約にもなるんですよ」。

 

ところが、1年ほど前に急に抜け毛が増えたほか、前歯の付け根部分が虫歯になるなどの異変が現れ始めた。原因は栄養の偏りである。このため食費1日300円はいったん中断。とはいえ、今も朝はファストフードの100円ハンバーガー、昼は社員食堂の500円のカツカレー、2日に一度は夕食がウイスキーというから、食生活の改善にはほど遠い。

「最近、景気がよくなったと言われているそうですね。それが派遣の給料に反映されることはありませんが、物価が高くなったとは感じます。スーパーの精肉売り場で(値段の高い)和牛売り場のスペースが増えたと思いますし、卵の特売がなくなりました。だから、最近は卵を食べていません」

健康診断はしばらく受けていない。「悪いところが見つかったら、治療におカネがかかるじゃないですか。だったら知らないほうがいい」ということだ。

派遣の給与はよくて横ばい、残業が減った最近は右肩下がりで、自分の生活水準もそれに合わせて切り下げていくしかない。ずいぶん前に新聞の購読をやめ、最近はNHKの受信料を浮かせるため、テレビを捨てた。次は車を手放すしかないが、住まいは千葉の郊外であり、車は必需品でもある。簡単には決断できそうにない。

「自己責任と言われれば反論できない」

しかし、過酷な現実に反してカズマさん本人に切迫感はないようにみえる。「困っているというより、あきらめているという感じです。(日常生活や働き方への)不満や憤りはありません。自己責任と言われれば、反論できませんし、言われても仕方ないと思っています」。

彼が実年齢より若く見えるのは、あらがうことなく、早々に現実を受け入れてしまったからなのか。とにかく、貧困にあえぐ一部の人たちがまといがちな焦りや陰りを感じさせないのだ。

父親霞が関のエリート官僚で、どちらかと言えば教育熱心な家庭で、身分証明を兼ねて持参してくれた中学と高校の卒業証書は、いずれも名の知れた進学校だった。しかし、「勉強は高校で燃え尽きた」と言い、大学は私大の夜間に進学。卒業前に就職先は決まっていたのだが、単位が足りずに留年が決まった。ちょうどバブル経済がはじけたころで、次年度の就職活動はあきらめ、卒業後はアルバイトや契約社員として働いた。

私にはそうは見えないのだが、カズマさんは「自分はコミュ障のところがある」と言う。数年間のアルバイト生活の後、人と接する機会の少ない経理業務なら向いているのではと、簿記やビジネス実務法務の資格を取って面接に臨んだが、経験のない20代半ばを過ぎた男性を正社員として雇ってくれる会社はなかった。

ならば、自営業はどうかと、将来は独立開業できるとして社員を募集していた自転車販売・修理会社に正社員として入った。ところが、そこも6年ほどで退社する。業務の一環として各地の販売店で店長として働いた際、「街の自転車屋さんは思ったよりも来店者とのコミュニケーションが必要な仕事だと気づいてしまったから」だという。

30歳を過ぎた後は、通信関連会社の派遣社員として3カ月ごとの契約更新を繰り返した。不安定雇用ではあるが、今まで雇い止めや長時間のサービス残業パワハラといった被害に遭ったことはない。リーマンショックのときも契約は切られなかったというから、多分、まじめで優秀な人材なのだろう。

とはいえ、必要な人材をいつでもクビにできる非正規雇用で使い続け、キャリアも評価しない、ボーナスなどの福利厚生もゼロといった働かせ方は十分に理不尽だと思う。

当のカズマさんは淡々と「仕方がないことです。どうしても正社員になりたいわけでもない」と言う。彼は取材中、何度も「しょうがない」「受け入れるしかない」と繰り返した。

欲がないというのか、覇気がないというのか――。そんなカズマさんがただひとつ、意志らしきものを持って語って希望は、意外にも家族との縁を切ることだった。

「自分がこんなに欲のない人間になったのは、物心ついた頃から家族に抑圧されてきたからかもしれない」と言うから、具体的な経験を尋ねると、父親から食べ物の好き嫌いをとがめられ、風呂の残り湯に頭を突っ込まれたことが1~2度あったことや、姉に頼まれたテレビ番組の録画を忘れたときにひどくしかられたこと、テレビのチャンネル争いに負けたことなどを挙げた。

しかし、当時は、善しあしは別にして親による体罰は珍しくはなかったし、姉とのトラブルにいたってはごく普通の兄弟げんかの域を出ないようにもみえる。

自宅の相続をめぐって兄弟とトラブル

両親はすでに亡く、「2人とも腫瘍っぽいもので亡くなったらしい」と言う。筆者には彼の子ども時代の経験より、親の正確な死因を知らないことのほうが驚きだった。理解できたのは、家族と縁を切りたいという彼の願望が、「憎悪」というよりは、「無関心」からくるものなのだということだけだった。

最近、両親が残した自宅の相続をめぐって兄弟ともめた。カズマさんは3人兄弟の末っ子。自宅には独身の彼が住み、評価額の3分の2に当たる金額を兄弟たちに支払うことまでは決まった。

問題は、この価格算定の基準をどうするか。できるだけ低く見積もりたい彼と、そのほかの兄弟の間で折り合いがつかなかったのだ。結局、調停を経て解決。その後、一括支払いのための銀行ローンを組み、現在は毎月約6万円を返済している。事実上の家賃である。

一連の遺産トラブルを振り返るときもカズマさんが口にするのは、兄弟への恨みつらみではなく、「これで家族の縁が切れると思って(調停を)頑張りました。ようやくしがらみから卒業できました」という安堵の言葉なのである。

家族に関心がないから、結婚願望もまったくない。これまで付き合った女性は皆、彼に結婚する気がないとわかると、自然に離れていってくれたという。

カズマさんは敬語もそつなく使えるし、話を聞いた喫茶店では、店内が込み合ってくると隣席に置いていた鞄を動かして席を空ける気遣いを見せることもできる。自炊もしようと思えばできるし、簡単な家屋の修繕や錠前の交換くらいなら自分でできるという。ただ、家族や自分自身、社会、政治など、あらゆることへの関心が薄いのだ。

海外旅行にも興味がないから、パスポートは作ったことがない。選挙にも1度も行ったことがない。選挙に行かない理由について「僕ひとりが行っても結果は変わらないのだから、やっぱり行っても、行かなくても同じ。もし、僕のような人間が全員、投票に行ったとしても投票率が上がるだけで結果は変わらない。そもそも与党にはうんざり、野党にはがっかりしています」と説明する。

「与党うんざり」の理由を問うと、彼はロッキード事件東京佐川急便事件を挙げた。しかし、時代は大きく変わっている。そんな大規模な疑獄事件を持ち出されても違和感がある。すべての国民が社会や政治に関心を持ち、投票の権利を行使したとき、本当に結果は変わらないのだろうか。カズマさんの主張はどこかで聞いたことがあるような内容でもあり、空疎な響きがしてならなかった。

「死にたいとも生きたいとも思わない」

怒りも不満もなければ、夢や希望もない――。貧しい暮らしにも早々に順応し、あきらめる。それが、生来の性格なのか、カズマさんが言うように生い立ちに起因するものなのか、それとも、社会でもまれる中で培われたある種の防衛本能なのか。筆者にはわからない。ただ、社会を作る多くの人々は、彼のような考えなのかもしれないとも思った。

カズマさんと会ったのは、サクラが満開を迎える直前の頃だった。すべてに諦観していても、サクラは不思議と人に対して”生き死に”について語ることを促すものらしい。淡くほころび始めた並木の下、彼はこう言った。

「死にたいとも思わない。でも、生きたいとも思わないんです」