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社会的投資の視点で考える 豊かな日本社会の「子どもの貧困」

山野良一(千葉明徳短大教授、「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワーク世話人
 

6人に1人って、高すぎないか?

 
 豊かな日本社会なのに、子どもの貧困問題が深刻化している。昨年厚生労働省が発表した、貧困な子どもの割合を示す「子どもの(相対的)貧困率」(2012年の数値)は、16.3%、約6人に1人であった。約325万人の子どもが該当する。1985年からのデータが公表されているが、過去最悪の数値を更新した。OECDに属する豊かな20ヶ国のうち、4番目の高さにある。
 
 だが、この6人に1人という数字を見て疑問を持つ向きもあるだろう。日本は、先に述べたように経済大国である。「相対的」というぐらいだから、豊かな日本では貧困であるという基準が高くこのような驚くべき値が出てしまうのではないか。
 
 この基準、貧困ラインは個人単位の額である(同じ世帯であれば大人も子どもも同じ額であると仮定する)。2012年では、年間122万円となる。ただ、子どもの場合、単身で暮らすことは少なく、これでは具体性に欠けるので、世帯単位に換算してみると、親と子1人ずつのひとり親世帯(2人世帯)で年額173万円、月額約14万円、親子4人世帯で年額244万円、月額約20万円あまりにしか過ぎない。しかも、この額には児童手当などの政府から援助されるものはすでに含まれている(一方、税額などは控除されている)。地方によって状況は異なるだろうが、多くの地域では生活できるぎりぎりの額だと言えるだろう。
 
 さらに、留意しなければならないのは、先の額は貧困な子育て世帯の上限の所得額でしかないということだ。貧困世帯全体がどれほどに深刻かは、この数値だけではよく分からないと言えるだろう。これは、貧困の深さという問題だが、貧困にある子育て世帯の平均的な所得額を求めることで全体の状況が垣間見える。
 
 その額は、子ども1人のひとり親世帯では、月額約10万円、親子4人家族では月額約14万あまりでしかない。どうやってサバイバルできているか想像が難しい金額だと言えるだろう。しかも、これが平均的な所得額であるという事実からは、貧困である子どものうち約半数(約8%、160万人)はこの額未満の世帯で暮らしているということになる。豊かな日本社会で、なんと大量な子どもが深刻な経済状況の中で暮らしているのであろうか。
 

学力以前の不利な状況

 
 上記のような厳しい経済状況は子どもたちにどのような影響を与えているのであろうか。
 
 注目を浴びているのは、学力の問題だろう。全国学力テストでも、低所得世帯の子どもの学力が低いことが分析されている。草の根的に(一部行政的な支援を受けて)、全国各地で地域での子どもへの学習支援(無料学習塾)が取り組まれはじめているのも、子どもの学力を補償することを目指されているものだろう。
 
神奈川県横須賀市児童相談所
 だが、筆者の児童相談所での臨床経験からすると、学力や勉強以前とも言える段階での不利な状況を背負う子どもも多いことを伝えなければならない。例えば、食の問題だ。先述のような低所得状況にあると給料日直後は問題ないのだが、給料日直前になると食べるものがコメや乾麺だけという状況になってしまう家族に何度も出会った。緊急的に缶詰などをかき集めて家庭訪問したこともある。さらに、電気やガス代などを滞納して、ライフラインが止められてしまう場合も少なからずあった。電気が止められてしまい暗闇の中でろうそくのみで暮らしているにもかかわらず、母親と離れたくないと泣きじゃくる母子家庭の女児をなだめながら保護せざるを得なかった経験もある。
 
 さらに、貧困家庭の収入が低いのは親たちが働いていないからではない。ほとんどがワーキングプアであるからだ(日本の子育て世帯の失業率は、先進国の中で最も低い)。労働単価が低いため、結局長時間労働に従事したり、夜間や早朝、土日など不規則な働き方をしなければならない。ある工場で働くシングルマザーは、収入を増やすために、昼間から少し単価の高い夜間に勤務時間をシフトさせたのだが、その結果、近隣から育児放棄していると通報された。筆者は、家庭訪問をし母親と話し合ったのだが、経済状況を聞くと母親の選択に共感せざるをえない気持ちが湧いてきて、子どもの危険性に対する判断との間で自分自身が板挟みになってしまったことがある。
 
 その他、医療保険の自己負担分が払えず、病院に行けない子どもたちもいた。こういった状況は、子どもたちの健康や安全、情緒などに深く影響を与えてしまうだろう。これらは、すべて豊かな現代の日本社会で起きていることなのである。
 

なぜ、豊かな日本で解決できないのか

 
 こうした厳しい状況の背景のひとつは、子どもを持つ親たち、特に若い親たちの労働状況の悪化だろう。バブル崩壊後、20代、30代の非正規労働者の数は急増している。それにあわせて、90年代後半から子どもを持つ世帯の平均稼働所得は下落を続け、最も所得の高かった1997年から2012年では約100万円近く稼働所得は下がっている。物価を考慮に入れても約60万円の下落になる。
 
 しかし、日本の場合、貧困化の進展にあわせて、政府からの子育て世帯への援助が限られている、つまり公的支援が貧困なことを指摘しなければならない。
 
 まず、子育て世帯は経済的に困窮していても、児童手当などの金銭的な支援(「現金給付」と言う)を十分に受けていれば、貧困に陥らずに済み子どもへの影響を防ぐことができる。他の豊かな先進国が、子どもの貧困率を低く抑えることが出来ているのは、親たちの稼働所得に格差が少ないためではない。現金給付が日本に比べ潤沢なためである。
図1 先進20ヶ国の家族・子どもに対する社会保障費の中の現金給付(対GDP比)
 図1は、OECDに加盟する豊かな20ヶ国の、子育て世帯への現金給付をGDP比で見たものだ。ここでは、2009年のものと最新の2011年のデータを掲載している。2009年までは日本はGDP比でアメリカに次いで2番目に低い割合であった。2011年では少し改善されているが、これは現与党が野党時代に「バラマキ」政策と批判を繰り返した、子ども手当制度が2010年から始まり支給額が改善されたためだ。ただ、2011年で見ても、OECD加盟31ヶ国の平均にもまだ及ばずかなり低い水準にある。
 
 さらに、子育て世帯は、現金給付だけでなく教育や保育など公的なサービスを受けている。こうしたものを「現物給付」と呼んでいるが、現物給付が十分であれば、経済的に困窮していても、例えば高い教育費負担に悩むことは少なくなる。ところが、日本では現物給付も現金給付以上に貧困な状況だ。特に、公的教育支出(対GDP比)に関しては、2005年から2011年(最新データ:図2)までOECD31か国(メキシコ・トルコなど中進国も含む)の中で最も低い割合であることが続いている。
図2 OECD31ヶ国の公的教育支出(対GDP比)

子どもへの社会的投資をもっと増やすべき

 
 今日は、「こどもの日」である。私たちは、この社会の未来を子どもに託すしかない。天然資源の少ない国であればなおのこと、子どもという人的資源に頼るしかない。
 
 一方で、積極的に言えば子どもほど投資収益率の高い存在はない。株など実態を伴わない資本と違って、子どもという人的資本は私たちの社会を裏切らない。
 
 だが、それは子どもへの社会的投資が十分であるということが前提になる。元来、脆弱さを抱える子どもという存在は、投資不足という環境の不備に敏感だからだ。ところが、現在の日本のように、未来を担う子どもへの社会的投資がやせ細った状況のままでは、貧困など社会的不利な状況にある子どもは、その可能性を開花できなくなってしまうかもしれない。結果として、私たちの社会は大きな損失を被り続け、その未来の発展は遮られてしまっているのではないだろうか。
 
 逆に、子どもたちが抱える、経済的なものを含むさまざまな障壁を減らすことは、社会変革のチャンスにつながる。元来、子どもは社会の鎹(かすがい)とされてきた。無縁社会が進行している今、日本本来の「豊かさ」である社会の絆や連帯を再度取り直すためにも、子どもへの社会的投資を是非とも戦略的に増やすべきであろう。
 
 もちろん、そのためには社会的な負担の議論も必要だろう。しかし、同じ時間の長さでも子どもは大人以上のダメージを受ける。負担(コスト)の議論を待っている間に、損失(コスト)は相乗的に増え続けていることを私たちは自覚するべきである。待つことができる時間はわずかである。今日、「こどもの日」にこそ、私たちはこの危機に気づくべきである。