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都内屈指のスラム街 「山谷」

今回は南千住駅からスタートし、都内屈指のスラム街を冒険する。
江戸時代の刑場である小塚原刑場、吉田松陰橋本左内などの墓のある「回向院」はこの駅の近くにある。

泪橋・山谷01
泪橋(なみだばし)は、その小塚原刑場跡の近くにかかっていた橋。 当時小塚原刑場にいくにはこの橋をわたった。
罪人にとってはこの世との最後の別れの場であり、家族や身内の者には処刑される者との今生の悲しい別れの場。お互いがこの橋の上で泪を流したことから、この名が付けられた。
現在は橋の面影はなく、その名前は写真の交差点やバスの停留所に付けられる事で残っている。

泪橋・山谷02
泪橋交差点の周辺(台東区荒川区)は旧地名で山谷(さんや)といい、日雇い労働者の滞在するドヤ街の通称になっている。

泪橋・山谷03
泪橋交差点付近からドヤが集中している事が分かる。おしなべて素泊専門で「カラーテレビ完備」「冷暖房完備」という謳い文句を掲げる店が多い。

泪橋・山谷04
そしてこの辺りでは路上で生活するオッサン、酒盛りするオッサン、寝るオッサンを多く見受ける事になる。

泪橋・山谷05
生活保護を受ける高齢者が都心の特定の場所に集まる背景には、ホームレス生活をしていた地域で生活保護申請をすることが多いという事情もある。

泪橋・山谷06
ただ、酔っぱらい同士の喧嘩が昼間から日常的に起こるらしいが、諸外国のドヤ街に比べると治安は良い。そのため外国人旅行者が山谷地区の宿泊施設を利用するケースが見られるようになった。

最近ではドヤを改装し、部屋を生活保護受給者へ貸しているところも増えている。働かずに部屋を借りられるとあって、高齢者を中心に生保受給者が山谷に集まってきている。
戦後最多の生保受給者数となり、さらに増え続けている現在。
ドヤ街として賑わった山谷が、違った形で再び賑わい始めているわけだが、そんな生保受給者のほとんどが家族や親戚などとの付き合いが無いため、孤独死し人知れず葬られるという運命にあるのが現状。

泪橋・山谷07
字が光でとんでしまい見えにくいが“犬以外 大小便スルナ”と書かれている。これは、犬以外が頻繁に大小便をするからに他ならない。マジで人糞よく見る街。犬とはサイズが違うのよ。

泪橋・山谷08
近くに物凄いモジャハウスを発見。「いなりや」というここも、どうやらドヤのようだ。

泪橋・山谷09
玄関からチラ見すると、ちょうど人が入っていたので営業しているようだ。それにしても建物自体かなり歪んでいる。

泪橋・山谷10
画像ではちょっと見えないが、玄関部に“空部屋あります 自炊できます いなりや”と書かれていた。

泪橋はかつて江戸の境界で、近くに小塚原刑場や遊女の投込み寺「浄閑寺」、山谷地域西南部の近隣は遊郭、現在はソープランド街である「吉原」。
つまりこの山谷界隈は、昔から嫌われ避けられるもの“悪所”を押し付けられているのだ。
きらびやかな都市があれば、必ずこういった下水溝ともいえる役割の場所があるのだ。いわば抗菌都市の必然的裏側といえるのではないだろうか。

 

都内屈指のスラム街 「山谷」 -東京冒険紀行-