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心を刺激するテーマ。

「3000円、ラスト」立ちんぼ売春で生き延びる歌舞伎町の少女たち~19歳・リコ(仮名)の場合~

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 昨年、貧困女子高生を取り上げたNHKの番組がきっかけとなり、注目されるようになった「見えない貧困」の中で暮らす少年少女たち。「普通に生活しているようだが、実は貧困」という、一見すると分かりにくい子供たちの置かれた厳しい状況に、改善を求める声が相次いでいる。

 だが、一方で「見える貧困」の中で懸命に生きようとする子供たちは、その実態があまりにも悲惨すぎて、テレビなどの大手メディアが取り上げることは少ない。

わずか3000円で春をひさぐ19歳の少女リコ(仮名)


 新宿・歌舞伎町から大久保方面へ抜ける細い道路の両端に立つ、4~5人の少女たち。その前を横切ろうとすると、携帯に向けられていた視線をこちらに投げかける者、なにか言いたそうに足を踏み出そうとする者、そのまま携帯を見続ける者、と様々な反応を見せるが、一人の少女がボソッと放ったひと言が衝撃的なものだった。

「3000円、ラスト」

 19歳のリコ(仮名)は、東京西部の実家を飛び出して以来、3か月ほど歌舞伎町で暮らしている。「ギャル」らしいメイクのリコだが、金髪に染められた髪の根元は黒い部分が目立ち、白いジャケットの襟部分は、ファンデーションか垢で薄黒く汚れているのがわかる。いや、衣服の全てが汚れているか破れているかという状態で、爪は割れ、前歯の二本が抜け落ちていた。

【見える貧困】立ちんぼ売春で生き延びる歌舞伎町の少女たち「3000円、ラスト」 いうまでもなく、彼女たちはこの通りで自分たちを買ってくれる男性を待つ街娼、いわゆる「立ちんぼ」だ。新宿・大久保界隈といえば、韓国系や東南アジア系の立ちんぼが多くいることで知られていた界隈だが、2000年代中頃には日本人の立ちんぼが出没するようになった。そんな怪しい界隈に、まだ高校を出たばかりの少女たちが現れるようになったのは、この7~8年のことだという。

「普段はイチゴーのホ別、一時間ラストまで。今日は腹減ってるし、ご飯食べさせてくれるなら3000円でいい。寒いし、お風呂も入りたいしね」

 筆者がそれとなく“取材”であることを告げ近くの中華料理店に入ると、リコは炒飯と牛肉と野菜の炒め物、餃子に揚げ春巻きなどを一気に注文する。レモンチューハイのオーダーは、私が下げさせた。外で引っ掛けた客とよく訪れるというこの中華料理店。リコとは親しげに話す店主の老婆の視線は、私から意図的に外されているようだ。

「中学の途中から学校いかなくなって、定時制高校もほとんど行かずに中退。キャバのバイトで知り合ったホストの家に転がり込んで、風俗のバイトやって……。でもウチさ、当時未成年だったし歯もないじゃん(笑)。風俗の面接でも落とされっから、援交しかないよね、実際」

  ご飯のつぶや野菜片を口からこぼしつつ、生い立ちを語るリコ。言動には悲壮感を全く感じさせないが、この現代日本に、どこか遠くの貧困国家で暮らす“ストリートチルドレン”のような子供が存在することに戦慄を覚えた。リコの周りの大人たちの無関心、リコを取り巻く社会が完全に機能不全に陥っているのではないか。

「補導されたこともあるし、児相(児童相談所)に入れかけられたこともあるけどね、逃げたよ。少し前までは、風俗店の寮に入ってたけど、殺人事件絡みで店が潰れて、追い出されちゃった。行くとこないよ、マジで」

 2014年、4人の女性が一人の女性をリンチし殺害するという事件が起きた。リンチの様子を動画で配信していたという衝撃的な犯行が報道等でも明らかになっているが、その全貌はあまりにも救い難いもので、詳細を報じるマスコミは皆無だった。事件の現場となったマンションは、一部屋に3人から4人ほどの女性が生活しているような風俗嬢の寮であり、リコも別フロアの部屋に、複数の女性と暮らしていたことがあったという。

「犯人のうち数人も、未成年のうちから立ちんぼやってたよ。ホスト狂いで風俗もやってた。被害者もやってたんじゃないかな。みんな生きるのに必死だからね、ちょっとおかしくなってんじゃん? ウチも人のこと言えないけどね」

 中華料理店を出た私は、リコに取材の謝礼として5000円を手渡し、その場を立ち去ろうとしたが……。

「そういうの、マジでムカつくんだけど! ヤリてーんだろ?  いい人ぶってんなよ、死ねよ! 何が取材だよ、面白おかしく書くんだろ、クソが!」

 取材なのでホテルまで行く必要はないし、買春する気もないと何度も説得するが、理性を失ったように罵声を浴びせかけてくるリコ。やっとの事で解放された時、リコは私から2万円の現金をむしり取っていった。

「お前さ、ウチらのこと可哀想とか思ってんだろ? マジ失礼だから。買う気がねーなら、最初からメシなんか食ってんじゃねえよ!」

 少女たちにとって「売春」は、その日を生き延びるための手段、そして仕事である。彼女たちの置かれた環境が気の毒だと、大人や周囲が囃し立て、哀れみの目を向けるのとは対照的に、少女たち自身は、自分を悲しい存在だとは思っていない。

 ――ただその日を生きるのに精一杯なのだ。

【伊原忠夫】
元週刊誌記者。性犯罪事件を多く担当。現在はフリーランスのウェブ編集者として、様々なネットメディアで活動中。

<取材・文/伊原忠夫>

「逮捕されてホッとした」中学3年生でキャバ嬢となった少女のその後~現在27歳・アキナ(仮名)の場合~

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覚せい剤で逮捕…それでも「ホッとした」のが本音


 成人式の直前、アキナは覚せい剤の所持・使用で現行犯逮捕された。ホストの男が先に検挙されていて、芋づる式に逮捕されたのだ。

覚せい剤「じつはホッとしたってのが本音。当時はもう自分をコントロールできなかったんだよね。その後、更生施設に2年くらいいたんだけど、部屋が一緒だった友達と『ここ出てからどうする?』って、いつも話してて。再び社会に出るのがやっぱり不安だった……」

 施設を出たアキナだったが、やはり風俗業界で働くことにした。それ以外の仕事など、できそうもなかった彼女が選んだのは、ソープランドだった。だが、その容姿では高級店で働けず、激安の大衆店に勤務した。しかし思うような収入は得られず、焦燥感を覚えていた。そんなとき、再び転機が訪れる。

「ソープの店長にウチの知り合いをお店で働かせてくれたら報奨金が出るって言われたの。カネに困ってたサークル時代の知人を十数人紹介して、ソープが無理な子には店長の知り合いを通じてエロ系ライブチャットの仕事をさせた。そのとき、これしかないって思ったの」

 “人を紹介してお金を稼ぐ”こと……。現在、アキナは池袋駅にほど近いワンルームマンションにオフィスを持ち、派遣風俗嬢の紹介や管理を生業として生きている。無届けの紹介業も、デリバリーヘルス店への派遣行為も、二重派遣となり違法行為だ。とはいえ、アキナはあっけらかんとしている。

「逮捕されたら、それはそのとき。女の子たちが安心して風俗で働けるように、ちゃんと管理してるからね。ウチみたいに悪いオトコに取り込まれて堕ちていくパターンが一番ダメだから」

 生業は違法だが、悪いことをやっているつもりはないと話すアキナ。月収は数百万を超えることもあるという。そのほとんどを貯金に回し、自身は23区の外れにあるマンションでひっそりと質素に生活する。唯一の楽しみは、年に数回は訪れるという東南アジア旅行だ。

「誰もウチのことを知らない世界って気がラクじゃん? 若いオトコたちがいるお店に行って、お酒を飲むの。もうカネにもオトコにもだまされるのはウンザリだから」

 

 

 

「妊活クライシス」男女の意識差が夫婦の危機に

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妊活中の夫婦が「赤ちゃんが欲しい」と強く願うばかりに、ますます相手を責め、自分を責め、夫婦間の不信感が募る――。いわば夫婦関係の「妊活クライシス(危機)」だ。妊娠をめぐる男女の意識差はなぜ生じるのか。危機を経験した夫婦や不妊治療の現場を訪ね、苦しい心の叫びに、耳を傾ける。
(おおたとしまさ/Yahoo!ニュース編集部)

「いっそ、夫に産んでほしい」

仕事から帰宅した夫に、「今日、排卵日」と告げる。夫は言う。「いいよ」。「なんで私がお願いしたことになってるの?」と言いたくなる気持ちを押し殺す。

そして生理が来るたびに、妻は、絶望を味わう。「できなかった」のではない。おっぱいをたくさん飲んでくれて、ハイハイして、あんよして、「ママ」と呼んでくれて、ランドセルを背負って桜の木の下で写真を撮って……、そうやって一緒に人生を歩むはずだった子供を、毎回、「失う」のだ。

絞り出すように夫にだけ報告する。

「(生理が)来ちゃった……」

ほとんど「私たちの子供が亡くなった」という意味だが、落ち込む妻に、夫は悪気なく言う。

「また次、頑張ればいいじゃないか」

妻は心の中でつぶやく。

「そういう問題じゃない」

妊活中、妻は何度も「失って」いる。夫はどう受け止めるのか(撮影:鬼頭志帆)

佐藤和子さん(39)=仮名、はこんな生活をもう5年以上続けている。単純に計算すれば、約60回の絶望を味わったことになる。しかし夫にとっては「まだ希望を捨てない」状態が継続しているだけ。同じ風景を見ていても、受け取る意味合いがまるで違う。

「生理が来てしまったとき、妊活中の女性は、わが子を失った母親とまったく同じ『喪失感』を味わいますが、男性にはそれがなかなかわからない」と言うのは、不妊治療中のカップルへの心のケアを専門とする生殖心理カウンセラーの平山史朗さん(東京HARTクリニック)。

生理が来るたびに、悲しみに暮れて、泣き続ける女性も多い。

「そこで『泣くな。まだ次がある』は無理。しっかりと悲しむ環境を作ってあげることが、夫の役割です。励まそうと思って外出に誘うのも逆効果になることが多い」

夫婦で同じ風景を見ているようで、実はその受け取り方は同じではない(撮影:鬼頭志帆)

外で子連れの家族を目にすればさらに気持ちが沈む。若い女性を見るだけでもつらくなる。あらゆる刺激がしんどい。そのことへの想像力が必要だ。

和子さんはSNSを見ない。子供がいる暮らしを見せつけられるのはつらいから。独身の若い女性と話をするのも怖い。自分が不妊になるかもなんて想像もしていない彼女たちの何気ない発言に、傷つくことも多いのだ。友達はどんどん減っていった。

不妊について当事者同士で語り合う場はある。「私だけじゃない」と、ほっとできる時間だ。しかしそこでLINEのアドレスを交換する気にはなれない。その人が妊娠するのが怖いから。

妻の複雑な心境を、夫はどこまで想像できているか(撮影:鬼頭志帆)

夫にも不妊検査を受けてもらった。「問題なし」の結果が出ると、夫の表情からは解放感が溢れた。和子さんにとってもうれしい結果であるはずだが、心境は複雑だ。夫が「同士」ではなくなってしまった気がした。

いまはとにかく、年を取るのが怖い。女でいることが苦しい。いっそ夫に産んでほしい。自分が男になって、「応援する側」に立てればどれだけ楽なことだろうか。つい、そんな風に考えてしまう。

まずは男性が検査を受けるべき

千葉商科大学専任講師の常見陽平さん(42)は、自分のためらいが、妻を余計に苦しめたと告白する。

「私が38、妻が37の時に妊活を始めて、1年経ってもできないので、病院に行くことにしました。夫婦で行こうと誘われましたが、仕事が忙しいことを理由にして、私は行きませんでした。正直、そこまでしなければいけないのかという疑問や抵抗感がありました」

常見陽平さん。ここまでしなきゃならないのか。なかには戸惑いを持つ男性もいる(撮影:鬼頭志帆)

「(生理が)来ちゃった……」と言って落ち込む妻を何度も慰めた。一時はあきらめかけた。「2人で愛し合っていればいい」「ペットでも飼おうか」などと話しながら、なんとなく、1年ほど妊活を中断した。

しかし妻からの提案で、もう一度だけ挑戦してみようということになった。ようやく常見さんも覚悟を決めた。病院に行き、精子を調べてもらった。結果は衝撃的だった。精液の中に、ほとんどまともな精子が含まれていなかったのだ。残された選択肢はほぼ顕微授精(※)しかないことがわかった。

(※顕微授精=精子を1つ取り出し、顕微鏡で見ながら、母体から採取した卵子に細いガラス管を使って人工的に注入し、母体に戻す方法)

「あのとき病院に行っていれば、何度も妻を落胆させなくてすんだのに、もっと若い母体で妊娠することが可能だったのに……」

なにより、何年もつらい不妊治療をしてきた妻に申し訳なかった。

検査に抵抗感を持つ男性がいるが、それがのちに火種となることがある(撮影:鬼頭志帆)

男性専門の不妊治療を行う恵比寿つじクリニックの辻祐治院長は、まず男性が不妊検査を受けるべきだと訴える。女性の不妊検査に比べれば、精子検査は簡単。痛みも伴わない。もし異常が見つかっても、早めに治療すればそれだけ早く状況が改善できるかもしれない。男性側が率先して「自分もできる限りの妊活をする」姿勢を示すことで、女性が安心できる効果も大きい。

仮に無精子症と診断されても、子供を授かるチャンスはある。睾丸の中に1個でも健康な精子が見つかれば、顕微授精が可能なのだ。「将来子供を授かりたいと思っている男性は、妊活や結婚に関係なくなるべく若いうちに検査を受けたほうがいい」と辻院長は言う。常見さんも「男性の健康診断の項目の中に、精子検査を入れたほうがいいのではないか」と提案する。

「子づくりも子育ても夫婦共同でするもの。仮にどちらかの体に問題があったとしても、それを2人で乗り越えて行くのが夫婦です。『ふたり』の子供が欲しいと願っているのなら、お互いを思いやりながらお互いにベストを尽くし、2人が納得できる妊活をしてほしいと思います」と辻院長。

妊活は2人で乗り越えていくものだ。互いに歩み寄れるか(撮影:鬼頭志帆)

不妊でも、気持ちはすでに母なのです」

武田真由美さん(42)=仮名、は24歳で結婚した。20代はあえて子供はつくらず、2人で好きなことをする生活を満喫した。30代になって、「そろそろ……」と思ったが「できない」。

本格的な不妊治療が始まると、仕事を辞めざるを得なかった。突然病院に呼び出されることが多くなるし、心身両面への負担も大きいからだ。毎月何本も筋肉注射を打つ。副作用で気分が悪くなることも多い。膣から針を刺し卵子を採取することもある。激痛を伴う。処置が終わってからも痛みは続く。会社を半休してできるようなものではない。同性の友人にすら話すことができず、真由美さんは殻に閉じこもるようになった。

仮に喪失を経験しても、夫婦の人生は続いていく(撮影:鬼頭志帆)

ようやく妊娠できたときには、すべてが報われたと思った。しかし、おなかの中で、赤ちゃんの心臓は止まってしまった。陣痛誘発剤を打ち、分娩台に上がり、もう産声をあげることのない赤ちゃんを産まなければならない。「死産」である。

夫も立ち会ってくれた。壮絶な「出産」を目の当たりにし、夫は泣き崩れた。「君まで失うんじゃないかと思った。君さえいてくれれば、僕の人生はそれでいい」。夫の優しさが胸に刺さった。そんな優しい夫の子供を産めない私がダメ。夫に先に泣かれてしまい、自分は涙すら流せなかった。仕事も、友達も、そして子供も、すべてを失った。

「悲しみ方には性差がある」

真由美さんはいま、そう感じている。

止まってしまった妻の人生に、夫は気づけるだろうか(撮影:鬼頭志帆)

最近、夫の学生時代の友人宅に招待された。男たちは「オレたち変わらないよな」と笑いながら満足げに飲み交わしていた。その姿があまりにのんきに見えた。

不妊でも、気持ちはすでに母なのです。それなのに、毎回『喪失』するんです。思い描いていた人生が、いつまでたっても先に進みません。私の人生が止まってしまっていることに、夫は気付いていないのです」

夫はいまでも不妊治療に協力的だ。一緒にクリニックに来てくれて、医師の説明も一緒に聞いてくれる。妊娠の可能性について、毎回シビアな現実を突きつけられるが、夫は自分が納得できるまで、医師に説明を求める。その姿は頼もしくもある。しかし同時に、真由美さんは傷つく。医師に理由を聞くことは、自分が「産めない女」である証拠を求めることに等しいからだ。

妊活は、永遠に続けられるものではない。いつかは「決断」する日がくる(撮影:鬼頭志帆)

夫は毎回のホルモン数値を折れ線グラフにまとめて分析している。正直、それもうざい。自分は身体で痛みを感じ、感情の荒波を抑えるのに必死なのに、夫は数値だけを見て冷静にものを言う。

「私は現実を受け入れる準備もそろそろしなければいけないと考え始めています。でも、夫は、そういう未来を一緒に考えようとはしてくれません。夫の頭の中にはまだきっと、『最後に勝つ』イメージがあるんです」

妊活を始めるまでは、何について語り合ってもフィーリングがぴったり合った。「子供を授かって、家族をもちたい」という想いも同じだ。それなのに、妊娠のことになると、視点のズレや悲しみ方の違いが露呈した。

それがことさらにショックだった。

妊活においては問題解決志向だけでも足りない。妻との人間関係を維持し、共感する志向も必要だ(撮影:鬼頭志帆)

子供がいるからこそ見えないことがある

「一般に、男性は『問題解決志向』が強く、女性は『人間関係維持志向』が強い」と言うのは、前出・生殖心理カウンセラーの平山さん。

真由美さんのケースで言えば、「できない」状態を変える方法を探るのが「問題解決志向」。「できない」状態の中で夫婦でどう共感し、支え合うかに重点を置くのが「人間関係維持志向」。人間には問題解決志向も人間関係維持志向も必要だが、夫婦が別々の立場から向き合えば、話がかみ合うはずがない。

一言で「不妊」といっても、その中身は一様ではない(撮影:鬼頭志帆)

すれ違いを防ぐ心得として、平山さんは、(1)お互いの思いが違うことを恐れない、(2)相手の気持ちを思い込みで決めつけない、(3)わからないからこそわかりあえると信じて自分の気持ちを伝え相手の思いを聴く、の3点を挙げる。

同じ風景を見ていても、立場が違えば受け取る意味合いは違ってくる。「不妊」の当事者である夫婦間でさえ、感じ方には濃淡がある。ましてや「不妊」の当事者ではない人々が、彼らの心の叫びに気付けることは少ない。いつも笑顔の同僚が、あるいは電車の中でたまたま目の前に座っている人が、もしかしたら「不妊」の当事者であるかもしれない。

「子供を育ててみないとわからないことがある」とはよく言われるが、逆もまた真なり。「子供がいるからこそ見えなくなっていることがある」「子供がいないからこそわかることがある」。そんなふうに思うと、いつも見慣れた風景が、ちょっと違って見えてくるかもしれない。

 


おおたとしまさ
ジャーナリスト。1973年東京生まれ。上智大学英語学科卒業。リクルートで雑誌編集に携わり、2005年に独立。著書に『ルポ塾歴社会』(幻冬舎)、『追いつめる親』(毎日新聞出版)、『ルポ 父親たちの葛藤』(PHP研究所)など45冊以上。

子どもの貧困問題

お金にだらしない大人のせいで、子どもも貧困状態を味わう。

そして、恵まれない環境によって、まともな教育を受けられないまま大人になる。

子どもの貧困 「昔のほうが大変だった」への対処法(湯浅誠) - 個人 - Yahoo!ニュース

高畑容疑者、狙った可能性 事件前に被害女性認識か

 前橋市内のビジネスホテルで女性従業員に乱暴するなどしたとして、強姦致傷容疑で逮捕された俳優高畑裕太容疑者(22)=東京都渋谷区=が事件前、女性従業員をホテル内で見かけていたとみられることが24日、捜査関係者への取材で分かった。

 高畑容疑者は「企てていません」と計画性を否定しているが、群馬県警はこの女性を狙った可能性があるとみて、詳しい経緯を調べている。同日、高畑容疑者を送検した。

 逮捕容疑は23日午前2時ごろ、女性従業員の手をつかんで自室に無理やり連れ込み、乱暴して軽傷を負わせた疑い。

(共同)

 送検のため、前橋署を出る高畑裕太容疑者を乗せた車=24日午前8時52分

 送検のため、前橋署を出る高畑裕太容疑者を乗せた車=24日午前8時52分

スタバなどのカフェでパソコンをWi-Fi接続して仕事をしている人は、何をやっているのか?

「働き方改革」を極端に捉えるべきではない

ここ1~2年で、「ダイバーシティ」「ワークライフバランス」「働き方改革」といった言葉が、やたらとネットや新聞紙上の記事で出てくるようになってきました。これまでの日本人の働き方は古典的であり、生産性が悪く、クリエイティブでもない、家族にも優しくないし、人生の幅を狭めるだけ、だから根本から見直そう……といったムーブメントに影響され、登場した言葉たちと言えるでしょう。

私は現場に入る経営コンサルタントですから、生産性が悪い仕事のやり方、長時間労働が前提となっている組織風土には強い姿勢で改革を促します。しかし、よくニュースで取り上げられる記事の内容は極端すぎて、ほとんどの企業の「働き方改革」の参考にはならないことも知っています。ニュースはニュースであり、現場は現場です。特にまだ社会人になっていない就活生たちには、スターバックスなどのカフェでパソコンをWi-Fi接続して仕事をしている人」が「働き方改革」を体現している人だと思ってもらいたくないし、間違っても憧れなどを抱いてもらいたくないと私は考えています。

たとえば、あるIT企業において、申請さえすれば「時間や場所に縛られることなく、好きな時間に、好きな場所で働いてもよい」という方針を打ち出したところ離職率が大幅に下がった、という事例があり、それが記事となって紹介されていました。

自由な時間に、自由な空間で働くことができる、と聞くと、だいたい想像するのが、「スターバックスなどのカフェでパソコンをWi-Fi接続して仕事をしている人」。私自身も、よく利用するため、そのような「ノマドワーカー」と呼ばれる人たちをカフェでは頻繁に目にします。

私がカフェでパソコンを開いて仕事をする場合は、講演や研修など、出張中に時間があるときに限られます。通常勤務のときは、普通の会社員と同じように定時出社し、夕方の6時までオフィス内に留まります。「アイデアが煮詰まったから、ちょっとカフェでも行ってくる」などとオフィスを抜け出すことはありません。

また、カフェでする仕事のほとんどが「メルマガ」「コラム」「書籍の原稿」などの執筆作業です。確かに、誰にも邪魔されず、コーヒーを飲みながらの時間は創作に適している気がします。ただ、カフェでないとより良い創作物ができないか、というと、そうでもありません。たまたまカフェにいる時間のほとんどが執筆の時間だ、という結果論にすぎないわけです。これが私のケースです。

カフェでする仕事は2種類しかない

私は取材を受けるとき、ホテルのラウンジやカフェを利用することがほとんどです。そのせいもあり、フリーランスのジャーナリスト、ライター、デザイナー等が、そのような場所をうまく活用して仕事をすることを知っています。しかし、一般的な会社員が「働き方改革」だのと称して、カフェなどでパソコンを開いて何をするのでしょうか。私が考えるに、以下2つにしか大別できないと考えます。

■ 執筆、デザイン、コーディング等の「生産作業」

■ メール処理や資料作成などの「間接コミュニケーション作業」

つまり、生産か間接コミュニケーションの作業に限られるわけです。生産作業であれば、まずほとんどがフリーランスの人、もしくは特殊な環境で働いている人であり、たとえば一般的なIT企業のプログラマーがカフェでコーディング作業ができるかというと、セキュリティやチーム内の生産性の問題で、所定のオフィス内でしたほうが理にかなっています。また、たとえオフィスワーカーといっても、経理や人事、労務の仕事に従事している人がカフェで仕事をできるかというと、ほぼ不可能と考えるべきでしょう。

それに、日本の就労人口総数と比較して、上記のような「パソコンのみで生産作業に従事する就労者」はどれぐらい存在するのでしょうか。きわめて少ないと容易に考えられます。

ということは、「カフェでパソコンをWi-Fi接続して仕事をしている人」のほとんどは、メール処理や資料作成などの「間接コミュニケーション作業」をしている、と言えるでしょう。ネットに繋いで「テレビ会議」などをしている人もいます。これも生産作業ではなく、あくまでも「間接コミュニケーション作業」であり、企業活動において、新たな付加価値を生み出す作業ではありません。

現場に入ってコンサルティングをしていると、この「間接コミュニケーション作業」ばかりやっている人が、いかに組織全体の業務を非効率化させているのかがわかります。企業内にある、これらの間接コミュニケーション作業を半減させても、ほとんどのケースで売上や利益がダウンすることはありません。それどころか、かえって生産性がアップし、収益を押し上げ、労務上の問題を解決するケースが多々あるのです。

パソコンの前に座り、メールを処理したり、管理資料やプレゼン資料を作ったりしていると、あたかも何か「仕事をしている気」になるものです。ただそういう「気」になるだけであって、ほとんどのケースは不必要な作業なのです。

カフェでのパソコン作業に憧れを抱くべきではない

コミュニケーションの基本は、当然のことながら「直接」やるものです。面と向かって話をするか、せめて電話です。リアルにインタラクティブな会話をしなければ、話が噛み合わなくなったときの副作用が大きすぎるからです。これが業務効率を悪くさせる最大の原因です。カフェの中で打合せをしたり、電話をするといった「直接コミュニケーション作業」をするならともかく、パソコンを使っての「間接コミュニケーション作業」ばかりしている人がいるとしたら、適当に短時間で済ましておいたほうがよいと言えます。

今の時代、「スターバックスなどのカフェでパソコンをWi-Fi接続して仕事をしている人」に憧れを抱く若者がいるそうです。とんでもない話だな、と思います。フリーランスの人なら責任をもって自己管理をしているでしょうが、一般の会社員であるなら「ああいう人にはなるな」と私は言いたいぐらいです。何らかの待合せの時間や、外出中の隙間の時間にカフェに入ることはあっても、滞在時間が1時間を超えるのはおかしな話。ましてや「働き方改革」の一例として登場するのは、かなり変な話であることを、就活生や若い人は知っておいてもらいたいと思っています。

最近はびこる「努力不要論」が社会をおかしくするという論

最近、「努力」という、昔は馴染み深かった、平凡で一般的な言葉をあまり聞かなくなった気がします。

私は現場に入って目標を絶対達成させるコンサルタントです。現場にいると、「目標を達成させるために精一杯努力しよう!」などと、組織の責任者が声高に語りかけるシーンを目にすることがほとんどなくなり、「どうすればもっと効率よく結果を出せるのか」と頭を抱えている姿ばかりを目にします。

効率的に成功を得られるちょっとしたコツ、これだけやっていれば必ずうまくいく、というような射倖心を煽るキャッチフレーズに心が浸食されてしまっているからでしょうか。このような「ショートカット思考」は現代病だと私は考えています。

「努力」という言葉の代わりに、

「それをやって結果が出ればいいですが、結果が出ないことをやっても意味がないですよね?」

「うまくいけばいいですが、うまくいかなかったらやるだけ損ですよね?」

という表現をやたら耳にします。

いろいろな職場で耳にする「やる意味がわからない」とか「やるだけ損」という表現は、本当にそうなのだろうか、といつも考えます。単純に、やるのが嫌だから、そういう理由を口から出まかせ的に言っているのだとしか思えないのです。

たとえば、

「今日1日10件のお客様をまわり、新商品の説明をして、1件でも多く契約をとってきてもらいたい」

と言われると、

「やたらめったらお客様をまわって、本当に契約がとれるのですか? 契約がとれないんだったら、やっても意味がないと思います」

と反論されます。この言い分は理にかなっているようにも聞こえますが、次の言い方をするとどうなるか?

「今日1日10件のお客様をまわり、こちらの茶封筒を窓口の人に渡してもらいたい。封筒を渡すだけでいいから」

と言われたら、

「この茶封筒をお客様に渡して何の意味があるんですか? これで契約がひとつでもとれるんならいいですが、そうでないならやっても意味がないと思います」

と反論する人はどれぐらいいるでしょうか? ほとんどの人が、

「この茶封筒を渡せばいいんですね? わかりました。すぐ行きます」

と答えるはずなのです。何も考えずに、です。なぜ反論しないかというと、上司からの指示であり、自分にとってイヤな仕事でもないからです。

実際のところ、その茶封筒の中には何も入っておらず、お客様にその茶封筒を渡しても何事も起こらない。けれども、すんなり「行きます」と答える部下は、結局は何も考えていないわけです。何も考えず、無邪気に、条件反射で、イヤな仕事は「意味がわかりません」「やるだけ損」と反論するし、別にイヤでない仕事には「はい、わかりました」と答えるだけなのです。

問題なのは「やるだけ損」と切り捨てて、単純に何もやらないことです。少しでも「やる意味がある」ことを選択して行動すればいいのですが、それさえしないのであれば、単なる「努力不足」。

こういう人を傍から見ているコンサルタントとして、私が「もっと努力しろ」と言いたくなるのは、当然の感情だと思うのです。何も考えず、条件反射で「やる」だの「やらない」だのと意思決定する習慣はもういい加減にオサラバしてもらいたい。そうでないと、いつまで経っても日本企業は、良くなっていかないからです。

行動した結果が自分の期待通りでなければ、その行動した過去は自分にとって「損失」だとする発想は、非常にネガティブです。

小学校や中学校で学んだ事柄は、大人になって、すべて役立つかというとそうではありません。微分積分や、化学の記号を大人になって利用しないとわかっているのであれば、それは勉強しなくていいのでしょうか。テストは0点でいいのか、という話になります。

一定の時間内に、難しい問題を解く訓練を繰り返すことで脳は鍛えられ、脳の基礎体力がアップしていきます。その繰り返しで人間の理性は形成され、感情に振り回されない意思決定や判断能力が身に着いていくのです。

何を「努力」するかは、人それぞれですが、少なからず、ちょっと面倒だな、やりたくないな、ということをやり切ろうとする、きっちり結果を出そうとすれば、そのプロセスにおいては「努力」は付き物なので、自然と努力する習慣は身に着きます。この努力の過程があってこそストレスに強い心と体が手に入ることは間違いなく「やるだけ損」という発想には行きつかないものです。

「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」

と言ったのはエジソンです。

努力は必ず報われる。

もし報われない努力があるのならば、

それはまだ努力と呼べない。

と言ったのは王貞治さんです。

努力している人が報われて欲しいし、報われるような努力をして欲しいと私は常に考えています。そして、目標達成するために努力しようと気恥ずかしくなく言える空気を、もっと社会の中で作りたいと考えています。「努力」は現代の美徳に合わないかもしれませんが、日ごろから努力しないことで、期待通りの成果を手に入れらなくなっていること、ストレスに弱くなって、感情の抑制ができなくなっていることは、決して”クール”な状態ではないと思うからです。