「マイルドヤンキー」「さとり世代」の生みの親・原田曜平氏「今若者のトレンドの背景には“パリピ”が存在している」
■「パリピ」イコール陽気なバカ、ではない
「パリピ」をご存じだろうか。
『月曜から夜更かし』(日本テレビ系)の視聴者ならば、「ああ、あの能天気な……」と思うかもしれない。2014年、同番組では埼玉県在住のラッパー・イルマニアが「パリピ」として取り上げられ、反響を呼んだ。
また、最近ではAKB48のメンバーが「パーリーピーポー、パーリーピーポー」と繰り返すという金融機関のCMもあった。
「パリピ」とは「パーティーピープル」の略で、イルマニアから連想されるのは、陽気で騒ぎが好きな若者といった像だろう。
最近の若者トレンドの背景には「パリピ」の存在が
が、それは一面的な見方だ、と指摘するのは、博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーの原田曜平氏だ。原田氏の新著『パリピ経済 パーティーピープルが市場を動かす』によれば、パリピとは次のような存在だという。(以下、引用は同書から)
「パリピは既に巷で流行っているものをミーハーに追いかけるのではなく、海外セレブや国内の一部で流行っているものをいち早く見つけ出す嗅覚を持ち、それを自分のものにしてマスに対して伝道する役割を持っています」
これまで、「マイルドヤンキー」「さとり世代」といったキーワードで、若者のトレンドを掴んできた原田氏だが、最近の若者トレンドの背景には常に彼ら「パリピ」が存在しているというのだ。
「昔から流行に敏感な遊び人の若者なんていたじゃん」と思われるかもしれないが、彼らとパリピの決定的違いはSNSだという。
いかに敏感なアンテナを持つ若者がいても、かつてはそれらのトレンドを伝え、広めるにはマスコミを媒介する必要があった。
「しかし、スマートフォンが普及してSNSが発達した2010年代に入ると、マスコミでなくとも、周囲に影響力のあるパリピの若者による投稿写真が引き金となって、流行が生まれるケースも出てきたのです。
流行を追う彼らのアンテナは現代のマスコミより時にずっと鋭敏で、かつ拡散力・集客力はマスコミを上回る場合すら出てきているのです」
■ハロウィンの伝道者だった
昨年、ハロウィンの市場規模は1220億円(前年比11%増)となり、バレンタインデーの市場規模を抜くまでになったことは話題になった。この急拡大にもパリピが関与しているのだ。
もともと宗教的祭事から発生し、アメリカで定着していた民間行事であるハロウィンを「若者や大人がコスプレして楽しく騒ぐイベント」として広め、定着させたのはパリピである。
「2007、08年頃から都内でクラブ通いをしているパリピが仮装して街に繰り出したことを皮切りに、その様子がSNSにアップされ、数年の時間をかけて周囲の若者たちに拡散・伝播していきました」
もちろん、それ以前にも東京ディズニーランドでのハロウィン・イベントなど、流行する素地はあったのだが、決定的な存在は「パリピ」だった、というのが原田氏の見立てである。
「そんなチャラチャラした奴のことなんてどうでもいい」とガンコ親父的な思考を持つのは自由である。が、消費者相手のビジネスにかかわっている人ならば、パリピの動向について知っておいたほうがいいのではないか、という観点から原田氏は同書で「パリピ」の生態の解明に挑んでいる。
デイリー新潮編集部
校長を「殺人」で告訴! 県・先輩生徒には1億円を賠償請求 学校を破壊するモンスターマザーの傾向と対策
丸子実業高校(現・丸子修学館高校)1年生でバレー部員の高山裕太君(16)が自室で首吊り自殺をはかったのは、2005年12月6日のことだった。母・高山さおり(仮名)は、自死の原因が学校にあったことを訴え、校長を「殺人罪」で刑事告訴する。しかし、校長は不起訴となり、自殺における学校の責任も完全否定。反対に“原告の態度などが裕太君にストレスを与えていた”とさおりの責任を示唆する判決が下される結果となった。
裕太君は、死の直前の05年の8月末に家出をしている。それを受け、さおりは担任の立花実(仮名)やバレー部部長の教師を、激しく罵倒し、謝罪文を校長に要求する。断られると「お前は馬鹿だ、人殺しだ!」と電話で怒鳴った。裕太君は9月5日保護されたが、後に、教師たちにはこう打ち明けていた。「お母さんが怖くて家に帰りたくなかった」。『モンスターマザー』(新潮社刊)の著者、福田ますみさんが描く“学校を破壊する怪物”の実態とは。
***
その後も、さおりの暴走は収まらなかった。
息子の登校を止めさせた結果、裕太君は、わずか2日間、学校に来ただけで再び不登校となった。
また、家出と時を同じくして、2年生バレー部員の山崎君(仮名)が裕太君の物まねをしていたことが発覚。同じく山崎君が練習態度を注意した後、裕太君を含む1年生全員の頭をプラスチックのハンガーで叩いたこともわかった。
状況からいずれも、いじめや暴行とは考えられなかったが、ほめられた行為ではない。そこで教師たちは、部員全員を集めて厳重に注意したのである。
すると、さおりの攻撃対象はバレー部へと移る。
山崎君の自宅には、「人殺し!」と毎日電話。
「よくバレー続けてられるね。あなたの子供がいじめたから、うちの子は好きなバレーもできず、学校も行かれない。自殺も考えている。あなたたちのことを訴えますからね」
監督の自宅にも電話を入れている。妻が出ると、
「あなたのだんなのせいで、うちの子はもう口もきけない。おかしくなっちゃったんだよ。どうしてくれんの! 山崎をかばってうそ言って」
当時14歳だった監督の長男にもこうわめいた。
「あなたのお父さんのせいで私の息子は自殺しようとしている。もし死んだら、あなたのお父さんのせいだ。人殺し! お前ら、最低家族だな」
マネージャーを務める2年生部員にも、殴り書きのファックスが送られてきた。
「病気のゆうたをよってたかってみんなでいじめた!!子供の気持ち何も考えない学校、バレー部全員の積(ママ)任だ!!」
「私も子供も病気なのに口先であやまっても全部うそのこう動だ!! 丸子はくさっている ゆうたの人生をかえせ!!」
度を越した抗議によって、関係者はみな精神的に参ってしまい、丸子実業は、正常な学校生活が危ぶまれるほどの事態に追い込まれる。そして、家と学校共に居場所を失った裕太君に12月6日、“悲劇”が起こったのだ。
■「バックに県や県教委」「警察官もグル」
事件はその後、前代未聞の展開を辿る。06年1月、高山さおりは、裕太君を殺害した容疑で校長を告訴。続いて同年3月には、長野県、校長、山崎君とその両親を相手取って、1億円を超える損害賠償を求める民事訴訟を起こす。
これに対して、いじめや暴力は事実無根だとして、バレー部の監督、保護者、部員たちが逆に、さおりを訴えた。さらに校長も、後に、さおりを相手取って、名誉毀損の裁判を起こす。
結果については先に述べたが、裁判では、さおりの異常性が白日の下にさらされていく。詳細は拙著『モンスターマザー 長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』をお読みいただきたい。
この“事件”を振り返って、校長が言う。
「母親への唯一の訴えを自殺という方法でしか選択できなかった裕太君の心情を考えると、いかに母親の責任が大きいかということを再認識せざるをえません」
そのさおりに取材を申し込むと、
「裁判は真実が通らないんですよ。大多数で決まるんです。バックに県や県教委がいて圧力をかけてくる。警察官もグルですよ」
と述べた挙句、
「書かないでください!」
「警察呼びますよ!」
とまくし立て、ドアを閉めた。
「特別読物 学校を破壊する『モンスターマザー』の傾向と対策――福田ますみ(ノンフィクション・ライター)」より
福田ますみ(ふくだ・ますみ)
1956年、横浜市生まれ。立教大学社会学部卒業後、専門誌、編集プロダクション勤務を経てフリーに。2007年、『でっちあげ』で新潮ドキュメント賞受賞。今年3月には「新潮45」連載の「モンスターマザー 長野・丸子実業高校『いじめ自殺』でっちあげ事件」で、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞した。
高1自殺の原因は“いじめ”ではなく“母”だった 学校を破壊するモンスターマザーの傾向と対策
「モンスターペアレント」の存在が顕在化して久しいが、以下はその極限の事例と言えるだろう。長野の高校で起きた「いじめ自殺」事件の真相を描いた『モンスターマザー』(新潮社刊)。その著者、福田ますみさんが、学校を破壊する怪物の「傾向と対策」を伝授する。
***
長野県の東部に位置する北佐久郡御代田(みよた)町は、人口1万5000人ほど。高原野菜の栽培と精密部品の製造が盛んな町である。
軽井沢に隣接しながら、その喧噪とは無縁の静かな高原地域。そこで世間を大いに騒がせることになる“事件”が起きたのは、2005年のことだった。
「出ていけ! お前たちが裕太を殺した。お前だけは許さない!」
「人殺し!」
「死んでから来ても遅い!」
「謝罪する気がないなら帰れ!」
12月6日、浅間山を望む丘陵地にある家の自室で、丸子実業高校(現・丸子修学館高校)1年生でバレー部員の高山裕太君(16)が首を吊り、搬送先の病院で死亡が確認された。
知らせを受け、急ぎ自宅に駆け付けた学校の関係者に、母・高山さおり(仮名)は、半狂乱で前述のように絶叫し、衆目の中で謝罪や土下座を強いた。
「学校が悪かったんです。きちんと対処してくれていたら、子どもは死ななかったんです」
彼女は、一方で、押しかけたマスコミに対しては、息子が「いじめ」の被害者であることを涙ながらにアピールした。
マスコミにとって、「いじめ自殺」は視聴者の注目度の高い“格好のネタ”だ。これを受け、新聞各紙には、〈高1いじめ自殺〉の文字が並び、テレビも彼女のインタビューを流して追随。1カ月後、さおりが校長を「殺人罪」で刑事告訴すると、各紙にはより刺激的な見出しが躍った。
ところが、だ。
それから3年――。
校長が不起訴になったのはもちろんのこと、さおりが起こした損害賠償請求訴訟でも、長野地裁は自殺における学校側の責任を完全否定した。それどころか、逆に〈原告の態度、意向などが裕太に相当なストレスを与えていた可能性を否定できない〉と、さおりの責任をも示唆する判決を出したのである。
言わば、彼女は息子を死へ導き、その責任をすべて学校になすりつけようとしていたことになる。
学校の教師に過大な要求や無理難題を突きつける、いわゆるモンスターペアレントの呆れた行状はつとに有名だ。
子供の遠足に弁当を作れないので、先生が作って持ってきて。子供が朝起きられないので、先生が毎朝モーニングコールをしてほしい。会社を休んで授業参観に行くのだから、その分の給料を担任が支払え。
だが、冒頭の母親のモンスターぶりは、こんな例をはるかに凌ぐすさまじさである。現代において学校現場が格闘しているのは、どのようなレベルの“怪物”なのか。それに対し、どう立ち向かうべきなのか。以下、このケースを紹介しながら、詳らかにしていきたい。
■祐太君の家出
「担任交代、いや退職しろ! 裕太だって先生が原因だって言っている。なんで校長、教頭が謝罪に来ないのか。もう二度と家に来るな!」
息子の家出の原因は学校にある。そう言い張る母親は、自宅を訪ねてきた教師たちに耳を疑うような怒鳴り声を浴びせた。
裕太君の行方がわからなくなったのは、05年8月30日だった。前日、担任の立花実(仮名)は、裕太君が夏休みの製図の課題を提出していないことを知って心配し、「2学期の評定が1になってしまうけど、どうして間に合わなかったのかね。お母さん、悲しむね」と声をかけていた。
2日経っても3日経っても裕太君は家に帰らない。
さおりは、この言葉が家出の原因だとして立花を激しく糾弾、学校や県教委にすさまじい抗議を始める。
最寄りの駅の防犯ビデオの解析から、裕太君が東京方面に向かったことがわかった。するとさおりは、立花に対し、東京でビラを配るから、裕太君の写真を持って来いと要求。立花は連日、捜索に駆けずり回っていたが、急遽、あちこちから写真を集めて自宅に届けた。ところが、さおりに激しく罵倒される。
「(写真を)早く持ってきてくれなかったので列車に間に合わなかった。どうしてくれる。担任は学校を辞めてもらいたい。許さない。東京へ行って捜しなさい。のうのうと寝ていないで外に見つかるまでいろ。子供が家出以来、私は何も食べていないのに、なんであなたはブクブクしていられるんだ! 子供を早く返して! 裕太が死んだら責任取りなさいよ!」
■「お前は馬鹿だ、人殺しだ!」
立花とともに捜索を行っていたバレー部部長の教師も、電話でさおりに怒鳴られている。
「東京で配るのにビラ4000枚が必要だ。子供の青春をつぶした学校は責任を取れ! 東京へいっしょに来い!」
裕太君は9月5日、ようやく上野で無事保護される。だが、さおりの攻撃は収まるどころか、謝罪のため自宅に訪れた立花らに、前述のように「担任退職」「校長謝罪」を強要したのである。
以後、裕太君は不登校になる。
するとさおりは、県教委やPTA会長、教頭などに何本も電話を入れ、「立花担任は学校を辞めろ!」「学校は謝罪文を持って来い!」などと強硬に主張した。校長は謝罪文を渡そうとしたが拒絶し、「学校が子供を死にたいと思うまで追いつめた」という一文を入れた新たな謝罪文を要求する始末。
これを断られると、
「お前は馬鹿だ、人殺しだ!」
と、電話で校長に何度も怒鳴った。
そして再び学校を非難し謝罪を求める電話やメール、ファックスを、あらゆる関係先に大量に送り付け始めた。
また、裕太君に精神科を受診させ、「うつ病」と書かれた診断書を県教委にファックス送信した。
しかし、家出の原因は本当に担任のせいだったのか。
9月26日、登校を再開した裕太君は、教師たちにこう打ち明けていた。
「お母さんが怖くて家に帰りたくなかった。遠いところへ行けば、お母さんに見つからないと思った」
「特別読物 学校を破壊する『モンスターマザー』の傾向と対策――福田ますみ(ノンフィクション・ライター)」より
福田ますみ(ふくだ・ますみ)
1956年、横浜市生まれ。立教大学社会学部卒業後、専門誌、編集プロダクション勤務を経てフリーに。2007年、『でっちあげ』で新潮ドキュメント賞受賞。今年3月には「新潮45」連載の「モンスターマザー 長野・丸子実業高校『いじめ自殺』でっちあげ事件」で、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞した。
「週刊新潮」2016年4月7日号 掲載
新潮社
「優しさ分けてくれた」中学生の奮闘、被災者に勇気 避難所運営の力に
約千人が避難生活を送る熊本市中央区の江南中で、被災者支援に中学生たちが奮闘している。ごみの片付け、トイレ掃除、高齢者への声掛け。水が足りないときは運動場に白線で「のみ水ください」と書き、実際に飲料水が届いた。地元の若者の頑張りに被災者も勇気づけられている。
「元気ですか」。19日午前、体育館で食事をしていた高齢の夫婦に中学生2人が声を掛けた。定期的にごみを拾いながら、被災者の体調を確認するためだ。
家庭科室で作った炊き出しを出すとき「ご飯ができました」と声を掛けるのは、江南中出身の高校生の役目だ。列を作る人には中学生2人が滅菌用にウエットティッシュを配り「頑張りましょう」と声を掛ける。
誰に言われたわけでもない。地元の大学生が支援を始めた姿を見て、避難していた江南中の生徒を中心に「自分たちも何かできないか」と自主的に活動が広がったという。自宅で寝泊まりしている生徒たちも加わり、1日に20~30人が避難所で汗を流している。
夫婦で避難してきた金子信子さん(73)は「避難所生活や地震で緊張が続くけれど、子どもたちの頑張りを見ると和らぎます」と笑顔。普段は1人暮らしの井上雅子さん(78)は支援物資で菓子が届いたとき、中学生からあめ玉を手渡され「自分たちも大変なのに、優しさを分けてくれて涙が出た」と振り返る。
熊本市では断水が続き、避難所の水不足も深刻だ。そこで16日には、運動場に「のみ水ください」と白線を引き、上空から見えるようにSOSを発信した。その画像が短文投稿サイト「ツイッター」で広がった。17日夜から、ペットボトルやタンクで飲料水が続々と届き始めたという。
18日には自衛隊の給水車も初めて到着した。避難所をまとめる江南地区の田上一成自治協議会長(79)は「当初の10倍に増えた。長期的な避難になればまだまだ足りないが、大変ありがたい」と感謝する。
生徒たちもお礼の気持ちを伝えようと、運動場の白線を「のみ水ありがとう」と書き直し、避難生活を送る大人たちと一緒に「がんばるけん」と付け足した。
「困っている人が心配」と自宅から毎日通う江南中3年の野崎シエラさん(14)は「地域でお世話になっている人ばかり。お互いに助け合いたい」と語り、お年寄りたちと笑顔で言葉を交わしていた。
=2016/04/19付 西日本新聞夕刊=
「買って支援」売り上げ最高…銀座熊本館が盛況
東京都内では支援の動きが広がっている。
東京・銀座にある熊本県のアンテナショップ「銀座熊本館」には地震が発生して以降、買い物による支援をしようという市民が次々に訪れている。最初の地震から2日後の16日に営業を再開したところ、連日、多くの買い物客であふれた。19日も午前11時の開店前から約80人が列を作り、一時的に入場規制をするほどの盛況ぶりだった。
週末だった16、17両日は通常の2倍近い計約6100人が来店し、県のゆるキャラ「くまモン」の関連グッズや特産品の辛子レンコンなどを中心に、売り上げは計約600万円で過去最高となった。
館内に設置された募金箱には18日までに約630万円が集まった。地震の影響で県産品の入荷が少なく、品薄の商品も出ているが、同館を運営する熊本県東京事務所の担当者は、「予想以上の支援で、県民にとって励みになる」と話す。
副業しないサラリーマンは「下流老人」という悪夢
東芝、富士通、三菱自工などの製造業は減産によるワークシェアリングで以前から社員の副業を認めてきたが近年、その波は業種を問わずに広がっている。
今年2月にはロート製薬が国内の正社員約1500人を対象に「社外チャレンジワーク」制度を導入、「会社の枠を超え、より社会へ貢献し自分を磨くための働き方ができるよう」(ロート製薬公式ページ)と社員の副業を認めるなど、業種を超えた“規制緩和”が進んでいる。
マイナンバー導入により副業がバレることを懸念する声もあるが、そもそも国家公務員を除けば、法律のうえではサラリーマンの副業は問題ない。しかし、本業への影響や企業利益を損なうような情報流出への懸念から「社則」として多くの企業が禁じてきた(「就業規則」は法律に則ったものなので、禁止は明記できない)というのが現実。今後“副業自由化”へ多くの企業が舵をきることが予想される。
そんな新しいトレンドの中でいかにしてサラリーマンが副業で稼ぐか? 金融関連会社に長らく勤めながら、ネットによる副業で本業+副業で年収5000万円を稼ぎ、現在はIT・ネット関連の事業を営むベンチャー企業を立ち上げた五十嵐勝久氏に話を聞いた。
副業というと“お小遣い”稼ぎ的なイメージを思い描く向きも多いが、五十嵐氏の見方は異なる。
「年功序列が崩壊して久しいですが、それに加えて現在の安倍政権の経済政策をみれば、規制緩和による企業優遇で労働者にとってはより厳しい労働条件を強いられることが予想できます。極端に聞こえるかもしれませんが、今後会社にとって替えの利く人材は40歳を過ぎたら、そのままのポジションに留まることはおろか、会社で働き続けることそのものが難しくなると考えたほうがいい。正社員だからといって定年まで会社に残れるという考え方は捨てるべきです」
何とも耳の痛い話だが、だからこそ副業スキルが不可欠なのだと五十嵐氏は言う。
「仮に50歳でリストラされたとしたら、その先80歳まで生きるとして夫婦2人で暮らすには、月30万円の生活費がかかるとして最低1億円程度のお金が必要です。しかし、子供の学費や住宅ローンの返済などもあるなかで、いったいどれだけの人がリタイアまでに1億円の貯金を用意することができるでしょうか? 実際にはとても難しいと思います。だからこそ、サラリーマンをやめて稼ぎ続けることのできる、言い換えればリタイア後の“本業”として生活費を得ることのできるスキルを身に付けておくことが必要不可欠なのです」
そんな五十嵐氏は地銀を皮切りに証券会社、FX会社など金融業界を渡り歩いてきたというキャリアを持つ一方、33歳のときから副業を始め、途中で社内規則などもあり途中で休業したものの、41歳で独立。現在は企業のプロモーションコンサルティングやWeb制作、システム開発を行う傍ら、これまでの比較サイト、ECサイトの運営なども手掛けている。
と聞くとネット分野に元々精通していたから成功したと想像するが、意外にも副業を始めたころはブラインドタッチもろくにできない、スマホは扱うこともできないという典型的なアナログ人間だったというから驚く。ネットで副業と聞けば、それなりのスキルが必須だろうと考えてしまうが、
「ネットで稼ぐためにはパソコンの技術や知識といったものはほとんど必要ない」
と五十嵐氏はそれを真っ向から否定する。
「ネット副業と一口に言っても、色々な種類の手法がありますが、僕が目を付けたのはブログによるアフィリエイト。パソコンとネット環境があれば、元手ゼロで始められるうえ、上手く軌道に乗れば、倍々ゲームで稼ぐことも可能です」
多くのサラリーマンにネット副業は決してハードルの高いものではなく、「定年後も生活に困らないためのセーフティネットとして知っておいてほしい」と話す五十嵐氏。中高年の破産、下流老人という言葉が巷で珍しくなくなった昨今、氏の言葉は重みを増す。
■次回は具体的に副業のメリットとその始め方を五十嵐氏に解説してもらう。
<取材・文/週刊SPA!サラリーマンの副業研究班>
五十嵐勝久●いがらしかつひさ
‘74年、秋田県生まれ。中央大学経済大学卒。大学卒業後、地銀、証券会社、FX会社に勤務。40歳で会社を辞めて企業。現在は企業のプロモーションコンサルティング、Web制作・システム開発業務、アフィリエイト・ECサイトの運など、サラリーマン時代に得た知見から幅広い業務を行っている。アフィリエイトの達人として“メガアフィリエーター”として業界では有名。公式サイト http://fxfun.me/
●『ガラケー男がネット副業で年収5000万円』
五十嵐氏初の書下ろし著書。自身の経験を元にサラリーマンがネット副業で稼ぐために必要なマインド、メソッドを惜しげもなく公開。ガラケーしか使えなかった平凡なサラリーマンがいかにしてネット副業で成功したかを詳解している